数あるサイトからこのページをみていただき、ありがとうございます!
このページでは「なぜメンタルコーチになったのか?」その背景やビジョンに繋がる自分史を紹介しています。
少し長くなってしまいましたが、読んでいただければ嬉しいです。
梅田 智也 / Tomoya UMEDA
メンタルコーチ / 心理カウンセラー
- 名古屋工業大学大学院 修了後、NTT西日本を経て、メンタルコーチとして独立。
- 2013年よりこれまで延べ3,000人以上のコーチング・カウンセリングを実施。(日本代表アスリート、プロアスリート、経営者、弁護士、医師、作家、ビジネスパーソン) (※2022年9月現在)
- メンタルコミュニティHOJORINを主催
- 国立大学 外部講師を担当
- 企業向けの研修、組織開発コンサルティング、顧問
「認め合い、分かち合いを日本の文化にする」というビジョンを持って、メンタルコミュニティの運営、個別コーチング・カウンセリング、研修・講演活動をしています。
大きなビジョンを掲げていますが、きっかけは身近なこと。
幼少時代よりどこかで自己承認ができず「もっとがんばらねば」というネバベキの世界を生きた結果、大切にしていた家族を壊し(離婚)、娘と生き別れになるという経験をしました。
その後、周囲の支えと「内観」を通じて、自分の内側で「承認の文化」を築くことができ、この世界がとても心地よく味わい深い世界であることに気づきました。
身近な人から信頼され、素朴だけど安心感のあるそんな「街の名医」的な存在を目指しています。
梅田智也の詳細プロフィール
幼少時代「夢はサッカー選手」
サッカーで成り上がっていく双子の弟の姿を見て「自分も自分の道を見つけたい」と思うようになりました。
1986年、愛知県で双子の兄として生まれ、名古屋グランパスエイトのサッカー観戦をきっかけに、サッカーを始めました。
夢は「サッカー選手になること」、双子の弟と毎日日が暮れるまで家の前で練習していました。
サッカーに関して、惜しみなくサポートし応援してくれた両親には心から感謝しています。
中学生、高校生と年を重ね、 努力を重ね才能を開花していった弟とは対照的に、 私はサッカーで芽が出ることはなく、次第に「人と自分を比較するクセ(比較グセ)」が生まれたり、自分に対して「自信を失くしていった」ように思います。
今でもはっきり覚えているのは、 高校3年生の冬、全国大会出場を決める弟のサッカーの試合をスタジアムの上からとても悔しい気持ちで観戦していたことです。
懸命にプレーし、活躍する弟の姿を「悔しさ」と「羨ましさ」が入り混じった気持ちで観戦しながら、「自分も自分の道を見つけたい」という気持ちが生まれた時でした。
(その後弟は、フットサルにて、オーストラリアで「日本人初の豪州Fリーガー」として所属チームを優勝に導く活躍をしました。)
父の病気、母の他界
本当に辛い経験でした。思い返すと今でも涙が出てくる経験です。。。
ここでは、大学生の時に起こった「家族」の話をします!
大学生の時、ある日を境に、父が急に仕事を休むようになりました。
初めは何が起こったのか理解できませんでしたが、心の病気(鬱)でした。
それ以来、自宅で目にする父の姿は、覇気のない背中ばかり。
それまで厳しくも、強く、温かかった父だったので、 「こんな姿見たくない・・・」 父を見る度、怒りや悔しさに似た感情が交錯し、父との関係性が悪くなってしまいました。
そんな状態が3年ほど続いたある日、突然母が他界しました。
交通事故でした。
母は、夜遅くまでパートの掛け持ちをしながら父の看病をしていても、辛い顔一つせず笑顔をふるまう優しい人でした。
そんな母との突然の別れ、ショックは大きく、しばらく抜け殻状態でしたが、「父との関係性をなんとかしなきゃ」という想いから心理学やメンタルの勉強をスタート。
数年の時間はかかりましたが、父に「ごめんなさい」と伝えることができ、自分の中で父のと関係性を清算することができました。 この一連の出来事をきっかけに「人の心の支えとなる仕事がしたい」という想いが湧き上がってきました。
走り回った独立準備。会社員とメンタルコーチのパラレルキャリア生活
一心不乱に走り回った経験が、今の自分を作っているといっても過言ではないです。
NTT西日本に就職し、関西で社会人生活をスタート。
2年目に社外で「若手社会人の交流と目標の分かち合い」を目的に「朝活会」を仲間とスタートしました。
様々な方の協力により、京都、大阪、神戸にて、計40回の開催と延べ500人の方に参加いただく朝活会にすることができました。
この朝活会での「小さな成功体験」と「人の心の支えとなる仕事がしたい」という想いが重なり、メンタルコーチとして活動をスタートしました。
27歳の時でした。
「君はまだ何もないんだから、足でかせぎなさい」
当時お世話になっていた人からこんな言葉をいただき、「会いたい」と思った人には、全国どこへでも会いにいき、 「この人だ」と思った人には、師事して教えを乞い、 見よう見まねでブログやメルマガを開設、学んだことを毎朝発信し、 ノー残業デイの日は、無料でコーチングを提供し、トレーニングを積み、 週末は、セミナー・勉強会を主催し・・・もーなんでもやりました。笑
そうした活動を評価してくれる方も出てきて、会社員ながら、個別コーチングや研修講師の仕事をいただけるようになってきました。
そんな生活を3年間続け、メンタルコーチとして独立しました。
「心のクセ」が原因で、大切なモノを失うことに・・・
自分の人生の中で一番苦しい時間でした。
でもこの経験があったからこそ「人の心の痛み」が理解できるようになりました。
独立後、法人2社で役員も務め、万事うまくいっている・・・ように周りからは見えていたと思います。
でも実際事業はアップダウンの連続でした。
そんな中、 業界のトップランナーと自分を比較しては、
「自分はまだまだ足りない」
「もっと頑張らなきゃ。成長しなきゃ」と
自分に休息を与えることもできず、四六時中働きました。
(※昔から持っていた「比較グセ」や「完璧主義」という心のクセがどんどんと出てきました。)
周りの仲間やスタッフにも、足りないところを指摘したり、「もっとがんばれ」と求めてしまい、周りから人が1人また1人と離れていきました。
そうした悪循環の連鎖が家庭の中でも生まれてしまい、 仕事と家庭のバランスがとれなくなってしまい、家庭を壊してしまいました。
そして結果的に、当時まだ小さかった娘と生き別れてしまいました。
一緒にお風呂に入ったり、寝顔を見ながら「パパがんばるからね」と言っていた日常が戻ってこないと思うと 苦しくて、悔しくて、自分を責め続けてしまい、夜も寝れなくなってしまい、病院に行ったら「鬱です」と診断されました。
ギリギリのところで支えてくれた「おばあちゃんの言葉」
この時おばあちゃんにもらった言葉は、一生忘れることはないと思います。
正直ギリギリの状態でした。
そんな中、唯一心の支えとなる存在の方がいました。
それが、祖母でした。
(※ここではあえて親しみを込めて「おばあちゃん」と書いています)
いつまでも落ち込んでいる私に、ある時おばあちゃんはこんなことを言ってくれました。
「人生はぶっつけ本番の一度きりだよ。誰にだって失敗はある」
「それにあんた十分がんばったやろ」
「経験はいつか大きな宝になるから、あなたは前見て笑っていなさい」
この言葉にどれだけ救われたか・・・。
苦労人だったおばあちゃんの言葉だったからこそ、自分の中にスッと入ってきて、人生に「進むチカラ」を再び与えてくれました。
時間はかかりましたが、体調は少しづつ良くなっていきました。
メンタルコーチとして再始動
それまでどれだけ「頭でっかち」だったか・・・(汗)
自分に向き合い、1つ1つ心の鎧を脱いでいったことで、ある想いが生まれてきました。
その後は、本当の意味で「自分に向き合う」ということをしていきました。
内観です。
信頼できるコーチや仲間にお願いし、静かにじっくりと自己探求を進めていきました。
・どんな考え方や心のクセを持っているのか?
・そのクセはどこから生まれたのか?
・何を求めていて、何を恐れているのか?
・自分にとって大切なものは何か?
・自分はこれからどうなっていきたいのか?
「弱い部分」「未熟な部分」「隠してきた部分」なども含め、深く深く見つめていきました。
「それまでどれだけ自分が頭でっかちだったか?」
「余計なプライドで自分を守ろうとしてきたか?」
穴があったら隠れたくなるような思いをしながら、1つ1つ心の鎧を脱いでいきました。
すると、ある想いが生まれてきました。
「祖母にしてもらったように、言葉のチカラで縁ある人をサポートしたい」
という想いです。
「自分を知る」という少し遠回りにも思える作業をしたことで、改めて「自分の道」に戻ることができました。
メンタルコーチとして再始動です!
現在
お陰様で「今」があります。
当たり前に感謝し、これからも「感謝の気持ち」と「想い」を大切に、精進していきます。
2013年よりメンタルコーチとして活動をスタートし、2022年で10年目になりました。
B to Cでは「個別コーチング」「メンタルコミュニティ運営」をメインに、
B to Bでは「企業研修」「組織開発コンサルティング」を行なっています。
また、独立時に掲げた夢でも
・大学で講師をすること(2017年より国立大学で外部講師をしています)
・海外で英語で研修をすること(日系上場企業のシドニー支店で、研修と幹部向けコーチングをさせていただきました)
・日本代表アスリートのメンタルサポートすること(現在、パリオリンピック出場を目指しています)
など、個人的な夢も叶えることができました。
これまで、 ビジネスパーソンを中心に、エグゼクティブ、トップアスリートなど延べ3,000人以上のコーチングもしてきましたが、関われば関わるほど、人の心を扱う「難しさ」や「面白さ」を感じています。
「どれだけ強そうに見えても、弱い部分はあること」
「どれだけ凄そうに見えても、同じ人間であること」
「みんな色々の課題や悩みを抱えて生きていること」がわかりました。
そんな個人様や法人様とご一緒しながら、新しい軌跡を作っていったり、夢の片棒を担がせていただけることが何より嬉しく幸せなことです。
メンタルコーチを始めた時、「まず10年続け、技術に磨きをかけ、一流になる」と決めてこの世界に入りましたが、今では「生まれ変わっても、またこの仕事がしたい」と思えるほど天職だと思っています。
これからも『認め合い、分かち合いを日本の文化にする』というVISIONに向けて、 ご縁があり関わることができた方々の「幸せ」「豊かさ」「喜び」「感動」に貢献したいと思っています。
とても長くなってしまった自己紹介を最後まで読んでくださってありがとうございます。
あなたはどんな人生を歩んで、どんなことを感じ、何を大切に生きてきましたか?
今度はあなたの話を聞けることを楽しみにしています。
HOJORIN 梅田智也
略歴
- 一宮西高等学校 卒業
- 名古屋工業大学 大学院 修了 (在学中、英Imperial Collage Londonへの研究留学ははじめ、10ヶ国への留学・インターンシップ・国際ボランティアを経験)
- 2012年 NTT西日本へ入社
- 2017年 NTT西日本を退職、メンタルコーチとして独立
- 2017年 一般社団法人ライフストーリー総合研究所 設立 & 理事就任
- 2018年 一般社団法人成れる会 代表理事就任(任期2年)
- 2019年 一般社団法人成れる会 代表理事 退任
- 2024年 株式会社HOJORIN 設立 & 代表取締役就任
これまでに住んだことがある場所
- 愛知県愛西市
- オーストラリア シドニー(2007年)
- オーストラリア ゴールドコースト(2007年~2008年)
- イギリス ロンドン(2011年~2012年)
- 京都府宇治市(2012年~2014年)
- 大阪府高槻市(2014年~2016年)
- 愛知県名古屋市(2016年~2018年)
- 愛知県東海市(2018年~2019年)
- 愛知県名古屋市(2019年~)
趣味
- キックボクシング
- スポーツ全般の観戦(特に格闘技、サッカー、最近はバドミントン)
- マラソンや登山をぼちぼち(昔はウルトラランナーでした)
- ミスチルの聞き流し
好きな言葉
- 微差は大差
- 人は人、自分は自分
- なるべく笑顔で、なるべく機嫌良く♪
- 経験は宝
- 大丈夫、きっと良くなる